水墨画における濃淡
水墨画における墨の濃淡は、その含ませる水分の量で決まります。そして、筆にどのくらいの水分が含まれているか、筆先にどの程度のこさの墨が含まれているかを事前に計算することで、墨の濃淡が出ます。
墨の濃淡に依って、空気を表現することも、墨の加減で、そしてその線描に依って、煙を表現することも可能とされます。
墨の淡い考え方は、そのベースとしての、薄い層にて、色の加減を表す方法があり、これは、色温度という考え方に出てくるのです。ベースの墨の淡さから始めて、その墨の濃さで継ぎ足していくことに、水墨画の重ね画法の意があります。
煙を表現するのであれば、その煙の実体をよく観察して、どのような雰囲気で煙が登っていくのか、そして、煙を表現するのに、どのような見え方があるのかを研究することが肝要とされます。煙を実体のように描くというのには、確かに技法もあるのですが、知恵を捻出して、煙を描くという技法すら考案しなくてはなりません。
水墨画の煙
水墨画の煙は、黒によって表されると考えるのは大きな間違いです。
煙というのはよく観察すると、白いものなので、バックと対照的に白く影が入るのが、常識とされます。ですので、煙を描くのは、白で描くために、バックは黒く描かなくてはなりません。
水墨画は墨の濃淡で、一応のコントラスト技法によって描かれますので、もちろん白い絵の具ではないので、至難を極めるでしょう。これは、煙の輪郭から描くとしても、煙の内容を白く残しながら、そして、墨による透明感を演出しなくてはならないのです。水墨画の煙には、背景を透かして描く技法として定着しなければならず、煙のその流れる様を、煙の向こうの景色とモチーフを描くことで表現するに徹します。
煙自体が白く映ったとして、もし火を表現するのであれば、火の部分は煙より発色しますので、煙より白く発色を及ぼし描く必要があります。つまり、火の色はオレンジですが、白黒で表す濃淡では、煙より発色を出さなくてはならないのです。それは、白地である紙の色を、極限にまで高めるために、いわば描かない技法に依って表現しなくてはなりません。
火と煙であれば、火が一番白く発色しなければならず、次いで、煙が白く浮き上がらなくてはならないのです。
水墨画の煙の種類
水墨画における煙の種類は、水墨画に描けそうな煙をあらかじめ想定しておきます。
描けないものは描かないのが絵の鉄則ですので、無理なことはあらかじめしないことです。ですので、身近に目に映るところから始めてください。
眼に映ることのある煙とすれば、農村の焚き火の煙があります。そして、落ち葉を燃焼する様相など、こういったものを脳裏に焼き付けます。これは、写真には映らない煙の現象ですので、カメラ技術が高まっても、不可能とされる淡い色使いなのです。ですので、眼で見た煙の様相をいつまでの脳に記憶し続けて、それを描かなくてはなりません。そして、モチーフを組んだ室内であったとして、煙を炊くのは大変危険ですので、そとで煙を見たのであれば、その記憶が眼前とまぶたの裏にありありと再現できなくてはなりません。
普段見るような煙として煙草の煙があり、またスチーマーの水蒸気の煙があります。練習用としてそれを描くのはかまいませんが、それが絵になるのには、絵の範疇とする題目が必要になります。これは、絵の定義とも呼べるもので、その煙で何を表現しようとしているのか、視覚者にそれが伝達されうる必要があるのです。ですので、煙によって表現できるもの、そして、自分自身はそれで何を表現しようとしているのか、自分自身を知っていなくてはならないでしょう。
煙を描く
煙を描くという技法には、古典的な考えですが、煙になにか映ったというような、暗示的な意味合いが含まれることがあります。
古来の日本画にもそのようなシンボリックな様式はありますが、その煙に何かが映っているという健康的な認識も必要でしょう。つまり、煙を描いているようで、古典的な水墨画の哲学的命題を含めるやり方もあれば、自作にて新規にその内容表現の在り方を考案することも必要です。そして、その題目のとおりの概念が、視覚者にとってどのように反応を及ぼすのであるかを想定して描きましょう。
水墨画における伝達性は、絵の色という意味合いではありませんので、墨の濃淡でできるのは、その表現の内容がどこにあるかというアピールが強くなるのです。ここでは、絵が上手い下手という基準ではなく、水墨画の技法と合わせた、その内容の伝達性にこだわってください。たとえば、水車小屋のある農村の薪が天に登る煙として水墨画とされるのであれば、その農村の風景が何を言わんとしているのかを、自分自身で認識しましょう。ここでは、美の観念より、その煙の技巧性と共に、煙の立ち上る様が、実際の風景にても認識されるくらいの経験値を持つことが非常に重要とされます。